本日あるセミナーでのお話を聞きました。
そこである方が、我々は若い頃それをやりたかったからやったじゃないかという話をされていました。
世の中にすでに存在してもいい。単純にそれをやるのは自己満足だ。
はい。アカデミアの世界にいるとよく言われたりするのですが、それってもうあるじゃん、それとどう違うの?ということです。正直世界中の誰かがもうやっているかなんて調べる(サーベイする)のは本当に難しいです。インターネットが普及してからもちろん容易にはなったのですが、では、完全にそれができるかといわれたらそんなことはありません。
とはいえ、例えば博士号を取るということを考えたときにはそれは必須になります。と、言う話は別のエントリーで書こうと思いますが、今回は全く逆の話、そして先日エントリーに書いた、プロであったら結果をもとめなければならない、経過をもとめるのは教育課程でのみ認められるという話とも矛盾するように見えるかも知れません。
さて、昨日の1か0かそれともその中間が存在するか。最終的には1か0でもその間を読む。で、結果だけではなくてその経過や判断の内容も大事だという話をしました。 [sitecard subtitle=関連記事 url=https://www[…]
ここで言いたいのは、ある技術があるからそれをそのまま使っていれば良いのではなく、そのインフラをブラックボックスとして使うのでは無く自分自身で作ってみるのが楽しければやってみれば良いじゃんという話です。
これは確かに、「研究者(あえてコーテーションをつけます)」がいうところのシステムインテグレーション(SI)、要するにあるものをそのまま組み合わせるだけで新たな知見が得られるわけでは無くて、論文にはまとめることができないという類いのものですが、それが楽しければそれはそれで割り切った上で自分で楽しいからやると言うことであればやればいいじゃんと言う話です。
このサイトはひいらぎやがドメインをとり、クラウド上にサーバを借り、その上に自分でWeb、メールサーバの設定を行って動かしています。こんなのは実は最近はWordPressのサービスだけ買えばあとはデザインを変えてエントリーを書くというだけで済んでしまう話だったりします。
でも、そういった作業やどういう仕組みで動いているかを知るための一歩としては非常に勉強になります。ひいらぎや自身はそういうことを専門にしていたのである程度わかっているつもりでしたがとはいえ、最近の技術や流儀が変わっていることを身をもって知ることができましたし、今後このシステムを自身でメンテナンスしていかなければいけないという意味ではそういう場に身を置いたのです。
これは無駄でしょうか。プロであったら〜のエントリーでは必ずプロは成功を求めなければいけないと書きました。これは仕事上の契約があったらという話です。失敗をしないようにするには固い設定がすでに入っているサービスを買ってしかもそれが動かなかった際の責任を他人のせいにできるというのはある意味正しい選択です。ただ、こうやって商売に直接関わらないところで事前に技術の根っこ(ものをうごかしているだけでは本当の根っこにはたどり着けないですけど)に触り、そこで失敗経験をするというのは大きな経験になります。
好奇心をもってブラックボックスにメスを入れることで新たな境地が見える
こういった経験をし、自分が使っている技術の根本がどう動いているのか、その実装の地雷がどこにあるのか、こういったものを知っていると依頼主への説明の説得力は非常に強くなりますし、なにより自分の自信が付きます。まずは、触ってみる。動かしてみる。そしてなければ自分で作って動かして、その技術の本質を知るというのは非常に重要です。
よく言います。他人に説明出来るようになってはじめて一人前だと。自分で実装をするというのはコンピューターにどう動けと説明しているのと同義です。コンピューターは何でも出来ると思っている方が多いかも知れません。特に今時のAIはそうですね。でも逆です。コンピューターは人間の言うとおりにしか動かない。AIも入力と出力を人間が決めてあげたときにその真ん中の道筋を考えられるかも知れないですが、夢のある出力をコンピューター自身で定義することはできないのです。
まずは人が何がどう動いているのかそれを理解するのが第一歩なのです。
(本記事は2018年9月に公開したものを改変したものです)