2月の最初の週末。いつも通り白山比咩神社へお詣りに。今年は雪が多いということだったのですがこの日は本当に雪。「本当に」と書いたのは、正直10年位前からするといつも通りの量しか降っていないので、そうびっくりするという感じではないのですよね。これ少なくとも石川はという話です。富山はひどいらしいです。
参道から拝殿へ
金沢から向かっていくのですがだんだん雪深くなっていくのがわかります。田んぼに積もった雪は地面の凹凸を隠してまっしろな平原にします。とても美しく、そして風が立つと雪が舞ってこれもまた綺麗です。
白山比咩神社には表参道と北参道があり、北参道は駐車場から鳥居をくぐってすぐ拝殿なのですが、表参道は長い参道を上がっていくことになります。
雪がちょっと心配ではあったのですが、参道をゆっくり歩くことで、拝殿に着くまでに穢れが落ちる気がするので表参道に回りました。
表参道鳥居前の駐車場です。いつもは車で一杯なのですが、天候のせいかほぼ車なし。どこにでも停め放題です。それでも何台かはすでに来たようですね。通常は9時からご祈祷をしているので不思議ではありません。ひいらぎやは10時半のご祈祷を目指してきたのでした。
表参道前の鳥居です。雪化粧がとても素敵です。久しぶりに雪の白山比咩神社に来た気がしますね。季節感を確り感じられるのも表参道を通る良さです。
季節感があると言いましたが…近づいてみて「えっ」となりました。これは子供が喜ぶやつ!ですが大人にとっては大変です。昔は車に長靴を積んであったのですがここのところ雪が少ないせいでそういった習慣もなくなってしまいました。
スニーカーでしたが、前の人の足跡に歩幅を合わせて進みます。
そしてすぐ角を曲がって表参道ですが、いやー、なかなかですね(笑)
先月も雪はありましたが、道が少し雪に覆われているという位だったので、こんな感じで足が沈むほどというのはやっぱり北陸の冬!です。
既に通った人たちの跡がなかったら確実に北参道に移動していました。そして当然人の姿も見えません。ひるむのも仕方ありませんが、まぁネタとしてもここまで来たら行くしかありません!
途中の琵琶滝まできました。雪景色の滝はすてきですね。実は先月もそうだったのですが、このパイプで滝の水を参道に流しています。水が流れてこの周辺だけ雪が消えていました。温度がもっと下がるとこれが凍ってしまいそうですがこれくらいならよいですね。とはいえ、影響範囲はほんの少しだけ。でもちょっと休憩が出来る安全地帯のようです。
手水を使って二ノ鳥居をとおって階段を上がるのですが、真ん中の神様の道だけ除雪されています。参道を上がってくる途中で職員の方?が除雪車で除雪を始めていらっしゃったのですが、この跡は除雪というよりも除雪車の通った跡ですね(笑)
とはいえ、階段の雪は本当に危ないのでゆっくり上がります。もちろんこの雪が少し少ない真ん中は神様の道なので避けます。というよりも実は踏み固められたところは本当に滑るし踏み固められ方によっては斜めになっていて危ないので、ふわふわの雪のところの方が安全だったりします。
三ノ鳥居と神門を通って拝殿へ。いやもう雰囲気良さ過ぎです。狛犬様は顔がわかりません。参道の真ん中だけ除雪されています。
ご祈祷へ
受付をして待合室へ。久しぶりにに接待菓子にありつけました。実は一日に合わせて白山比咩神社宝来会の会員企業からお菓子が提供されています。ひいらぎやがお邪魔するタイミングは毎月最初の週末なので1日に重ならない限りは代替うりきれなのですが、今回は雪が多かったのでまだ残っていたのでしょうか。和菓子処はやしさんのひとくちすはまをいただきました。
2人でいったのですはまを2つ受付でいただきました。新型コロナウィルスまん延以前は待合所においてあったので好きなだけ(やり過ぎはだめですが)いただけたのですが、一人一個ずつです。
白山新聞を読みながら10時半のご祈祷を待ちます。
この雪のせいなのか、この回のご祈祷は2組だけ。多いときは数十組いて、すべての人の名前と住所を読み上げられるのですごい時間がかかり、ご祈祷もすごい早口で行われるのですが、これまできいたこともないような穏やかな回でした。もう一組は初宮参りで赤ちゃんを連れていて微笑ましい限りでした。
拝殿をでると少し天気が良くなっています。木々の雪景色も綺麗ですがたまに雪垂(ゆきしずり)が起きているので、頭上に注意が必要です。
拝殿も青空が覗くと一層美しいです。
今月のことば
今月のことばは、「人に剛億なく気に進退あり」(太平記)です。今回の禰宜さんからの最後のお話しのなかにはこの言葉の説明はありませんでした。
説明書きを頂いてきて勉強します(笑)
「生まれつき剛気と臆病の区別があるわけではなく、積極的と消極的の違いがあるだけで、誰でも強くなれる」です。何事にも積極的になりましょうということでしょうか。それは積極的と消極的という性格の違いは生まれつきではないという前提がある気がしますが。だれでも積極的にはなれるはずだということでしょうか。
とはいえ、とはいえ、何かを変えたければ自分が変わらないといけない、すなわち少なくとも今より一歩積極的にならなければいけないのでこの通りですね。
コロナの時代で大きく世界が変わり、その世界で生きていくためには自分も変わっていかなければいけません。この言葉を胸においておきたいですね。