知人のFacebookで少し考えさせられるポストがあったので…。
それは、概略すると、設計図のような理論は机上で計算されたもので、それは完璧であるというお話しでした。実際に実地に投影、実装されることによってのみ欠陥が明るみに出ることがあるというのです。そうです、理論は紙の上に紡ぎ出され、そしてそのままの紙上に書かれているだけでは何もおこりません。それを実現しようとしたらそうはいきません。物理的な質量をリアルにもったそれは何かしらを害する可能性も利益をたたき出す可能性もあります。さてさて、それはその通りです。レオナルド・ダヴィンチの戦車の設計図なんていうお話も有名ですね。実際には動かないような仕掛けがされていたという。
理論と実践。実際に考え方をモノを世界に投影できる人が世界を動かす
さて、今の世界、少なくとも日本では、現場で実際に手を動かしている人と、それを使う人の評価は明確に分かれているように思います。現場に出る人たち、いわゆるブルーカラーの評価は低く給与も低いですよね。もちろんデザイナーのようなデザインという設計図から手を動かしてモノを作るところまでやっている人たちの給与はその枠には収まらないです。これは一気通貫して仕事をしているからです。
でも、やはり、実際に物を作って実際の世界にそれを実現できる人がすごいと思うのですよね。当たり前ですが、やはり頭の中だけで考えているだけでは世界は変わらないし、実際にものを作る人が世界を直接的に動かしているとおもっています。
では、物を作ることが出来る人が最強でしょうか、いいえ、それだけでは足りません。先ほどデザイナーのお話をしましたが、何を作れば世の中が便利になるかを考えつけなければいけません。そうです。両方が大事なのです。当たり前のお話しですが。「手に職がある」といいますが、物を作り出す技術、そして物を考え出す技術、その双方が合わさり、それぞれの体験を理論に活かしそして技術を向上させている「人」が一番強いはずです。やはりすべてを自分でできる「人」で、クリエイティブな考え方でき、それを実現できる「人」ということになります。
一人でできないから一つの思想のもとに分担する。
物作りを極めた職人さんはモノを売るのが下手でだれかマーケティング担当が必要だという話を良くしたりします。職人はあるモノを創ることには突出した能力をもっているけれど、それを世の中に宣伝し、金銭に換えるような能力を持ち合わせているとは限りません。むしろそのようなケースは少ないようにみえます。伝統芸能の職人さんなんかもうまく売る人がいたとしたら、その技術を最新の技術に応用することができそうなことを考える人がいたら、そうです、その創り出すモノに陶酔し、応用を考え、それを売ってくれるマーケッターがいてはじめて生活が成り立ちます。双方とも一緒です。そのマッチングがうまくいっていないからこそ、伝統工芸にしろ何にせよ職人の数が減っていく一方であるのだとおもいます。
これと同じように、複数人で担当分けし、理論と実践を一つの思想のもとにまとめあげモノを作ることをしているのが「法人」です。スタートアップなどはもともとの創業者チームの意識があっていることが多く、当初はうまくいくのでしょうけれど、大きな会社になるほど、経営指針の共有が難しくなり、そしてベクトルがずれてくる社員が出てきますね。そのような状況をうまくまとめ上げられる優れた経営者がいる会社のみが成功しているのかもしれません。
何が言いたかったかというと、みんなが力を合わせないと大きな事は出来ないということ。
紙上にしかないものは、実世界に影響を及ぼさず、どんな物理法則も無視できるという意味では理想的というよりも、むしろ一種の夢の世界かもしれません。ただ、それでは世界は変わりません。では、それをどう作っていくか、どう現実世界に再現できるかを考えることも大事で、そこで不具合が出てくることに何の問題があるのでしょうか。人はそれぞれが得意な事を分担し、そしてみんなで素晴らしいことを成し遂げてきたはずです。
そういった中で物事を考えると、なんでブルーカラーとホワイトカラーでこんなに変な格差が出来てしまうのかと思うのです。どっちかがいなくなったら、お互いに困るのです。ということでみんな尊重し合ってがんばっていこうよというお話しでした。すっごく大雑把に言うと、理系の人は物を作れるけど、文系の人はその人たちを動かしているから偉いとか、実際に手を動かしていないけれど、財源を握っている人が強いとか、なんだか世の中いびつだとおもうのです。この例がすべての場合でそうなっていると言っているわけではありません。でもそういう世界もあるし、そう思い込んでいる人がいるのは確かだったりはします。