高校生の頃、塾に入る事前面接の時に(といってもそんなにすごい塾ではないのですが…)、その先生に言われた言葉があります。
「人間、変わることが死ぬほど怖い」
何が怖いのか
高校生の頃に本当にこの言葉の意味を理解したかはわからないですが、いわゆる営業トークでした。今やっていない、この塾に入るということ、それが変わることであり、死ぬほど怖いハードルを超えて、そうすることで学力が上がっていくと言うことだったのでしょう。高校生に対してはそんな怖いことだということはわかっているから大丈夫だよというメッセージも含んでいたのかもしれません。
古い話ですが、とはいえ、今考えてもこの考え方は実は的を射ています。生きていける最低限の現状があるのであれば、何かしらのリスクを取って生活を変化させることには勇気がいります。それが「人間、変わることは死ぬほど怖い」のです。
もちろん、周囲の変化、大学への入学だったり、転勤、親の都合の引っ越しだったりと自分ではどうにもならないことによって変化がもたらされ、怖くてもそれをやらざるを得ないこともあるでしょう。
そのような変化は、過去誰かがやっていて特に問題なく暮らしている、もしくは誰かが責任を負い、食べていける程度の生活は保障してくれるということなので受け入れられるでしょう。大学に入るときの引っ越しはみんながやっていることですし、会社都合での引っ越しは会社がある程度責任を取ってくれる。だから「変化」といっても自分からリスクをとる変化とは違い、怖く感じないのです。自分で判断せずともみんながやっているということですね。日本人らしいのかもしれません。
変化の可能性を取る
なかなか新たなことを考えても実行に移せる人はいません。それはひいらぎやも同じです。やはり「人間、変わることは死ぬほど怖いのです」。変わらなくてはいけない時でも変われずそのまま死んでいく人もいます。死ぬほど怖いのですからそれはそうです。
でも生きていくためには時には変わる必要があります。今の日本は以前とは違い、こういった変化を選択する人は増えてきました。生涯一企業に勤務し続けるということが尊ばれていることはすでに過去の話です。ただし、勝ち目のない変化を選択してもそこにもやはり死の淵がみえています。ただし勝ち目をどこに見るかは個々の判断です。少なくとも自分が勝ち目があるという光がみえたのであれば、そこに全精力を注ぎ込み変化を実現させるのです。ただし、一番大事なのは損切りです。そこだけ見誤らないように…。
(この記事は2018年9月12日 11:34 PMに公開した物を加筆・修正した物です)